スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

#55 ふわふわした、さびしい世界「ワールドゲイズクリップス」

41dPN4-vYQL__SL500_AA300_.jpg

 今回は五十嵐藍の漫画「ワールドゲイズクリップス」を取り上げようと思う、この漫画家を知ったきっかけは「鬼灯さん家のアネキ」という漫画からだった。姉弟のラブコメながら、どこか「寂しさ」を感じさせる設定が垣間見える不思議なマンガだったが、今回の「ワールドゲイズクリップス」ではその「寂しさ」を感じさせる部分がこの漫画家の真骨頂だったことがわかる内容になっている。
この漫画はオムニバス形式で構成されており、1巻は4本の話が収録されている。それぞれ「放課後ロスト」「ウォーキングウィズアフレンド」「緑雨」「blue imaginary birds」というタイトルになっているが、それぞれ話の長さも違い、まさに短編集のような趣を持っているのが特徴の一つだ。
さらに4本の作品すべてに共通する部分は、登場人物は基本的に全員高校生だという部分だ。高校生という多感な時期、家と学校を往復するだけの閉鎖的でループする日常、その退屈な繰り返しから少し外れた世界を寂しさや叙情的に、はたまた少しエロティック描いている。
 少しそれぞれの短編に触れよう
・「放課後ロスト」
端的にこの物語を説明すると、2人の正反対の女の子が出会って、なんとなく仲良くなってなんとなく家出をする。真面目な主人公が相手に染まっていく姿が「成長」なのか「変化」なのかは定かではないが、その二人の距離感の妙は「友人」という言葉では語れない。そのふんわりとした空気、表情の変化はなにか心くすぐる物を感じる。
・「ウォーキングウィズアフレンド」
 この物語も飄々とした空気を持つ。卒業を控えた高校生の男女二人が、道端で死んでいるカラスを景色のいい場所に埋葬しに行くというお話。そもそも登場人物がすでに達観していることもあり、「何かすれば変な空虚さが埋まるかなって悪あがき」というセリフに見られる、後付の自分探しを求めている不思議な感覚を描き出している。
・「緑雨」
 ここまでどこか飄々と、物悲しさを持った話が続いてきた中で、少し狂気的な部分を描いたのがこの作品だ。あらすじは主人公の男子高校生は4歳の頃に一緒に遊んだ女の子を忘れられず、その昔の記憶をおぼろげながら思い出そうとする。そして女の子の面影を残した女性と偶然出会うが・・・、記憶と空想の狭間がわからなくなる恐怖、記憶とはいかにあいまいなものなのかを描いている。少し怖いがまた少しエロティックな内容でもある。
・「blue imaginary birds」 
この物語はつかみどころのない無常感を感じさせた前3本の物語とは違い、明るい前向きなお話だ。元彼とよりを戻したい女子高生が、幸せの青い鳥を捕まえて願いをかなえてもらおうという物。願いとは不思議なもので、気が付けば変わっているものなのかもしれないというお話。

さらっと4つの物語を紹介した、この空気や雰囲気は少し人を選びそうではあるが、気になる人は手に取ってもらえるといいだろう。
派手さはない高校生の日常だからこそ、もがいている姿もまた絵になる。そんな漫画でした。
スポンサーサイト

テーマ : 漫画の感想
ジャンル : アニメ・コミック

#54 ついに復活「マクラーレン・ホンダ」

2013年5月16日、あるニュースが世間を賑わせた。このニュースは受け取る人間によってかなり温度差があるものに違いない。ただその温度差の中でも、熱を帯びる人にとっては灼熱と化すようなとびっきりのニュースだった。
 そのニュースとは、「2015年のF1グランプリから、ホンダがエンジンサプライヤーとして、F1チームのマクラーレンと契約をした。」という発表だった。つまりホンダがF1に復帰を発表したのだ。しかもあの伝説のマクラーレン・ホンダとして。
日本国内のチームとしては最古参であるホンダだが、初参戦は1964年にまでさかのぼる。ホンダチームとしてそこからの4年間で2勝を挙げたものの、当時の時勢により撤退を余儀なくされてしまう。その後エンジンサプライヤー期間を経て2006年から再度ワークスチームとして参戦、2008年にはリーマンショックのあおりを受け撤退を余儀なくされた。つまり7年ぶりのF1復帰となるわけだが、今回の復帰はまた特別な意味を持っていた。

その特別な意味こそ、1983年から1992年までエンジンサプライヤーとして参戦した第2期に隠されている。この83年から92年という期間はF1の人気がピークを迎えたその時期と完全に一致する。アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケといった通算勝利数のトップ10に名を連ねる猛者たちがしのぎを削った時代。そしてすさまじいスピードでF1の技術が進歩していった時代。その時代の中心にいたのが、アイルトン・セナとホンダエンジンだった。そしてセナとホンダエンジンが名声を得た場所こそが、マクラーレン・ホンダなのである。
1988年からアイルトン・セナとアラン・プロスト、そしてホンダエンジンを導入したマクラーレンはその年の16戦中15勝と圧倒的すぎる成績でその年を制した。そして翌89年から91年までマクラーレンがF1GPを制し、まさに「マクラーレン・ホンダ」は黄金時代を迎えたのだ。
この熱狂の時代を再現するかのようなマクラーレンとホンダの組み合わせの発表は、まさにF1ファンにとっては胸を熱くさせる知らせだったのである。
 もう一度日本でのF1人気が再燃するような最強のエンジンを作ってくれることを願いたい。

テーマ : F1グランプリ
ジャンル : スポーツ

#53 近代日本画の大家「山本春挙」

 日本画というと皆さんはどのような絵を浮かべるだろうか、やはり山や滝を墨で描くような俗に言う水墨画呼ばれるものだろうか。はたまた狩野派に代表される屏風絵なんてものも非常に日本的なものと言える。しかし「日本画」と評される絵画は明治以降日本にも広まった「洋画」に対して、日本の伝統的な構図と手段を用いた絵画を表現するために生まれた言葉が「日本画」だ。そのため基本的に日本画と呼ばれるものは明治以降に書かれたものである。
 今回紹介したいのはこの日本画家の大家、山本春挙である。雪舟に代表される水墨画という物は中国風の水墨山水画だが、これらの作品は山を大きく険しくダイナミックに描き、それと対照的な静物が置かれている二極的な面白さが人の目を楽しませてくれる。
そして日本画が迎えた進化というのは、その色彩の鮮やかさである。

山元春挙:春夏秋冬(1913) http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=150980&edaban=1
00980.jpg

水墨山水画に見られる伝統的な構図はそのままに、岩顔料を「にかわ」で溶かした塗料を用いている。もちろんそれ以上に正確な筆致に合わせ、写実的でありながら美しい景色を見事に描き出した秀作だ。日本だからこそ感じられる四季と山水画という物は抜群に相性がいい。四季の姿を映す自然の鏡と言っていいだろう、そしてその姿を見事に紙に封じ込める春挙画の美しさたるや。

山元春挙『雪渓遊鹿図』
fa407e8dea4dcd213018aea7277683b2.jpg


さらに水墨画をほうふつとさせるモノトーンの雪の世界を描いたこの絵だが、手前の木から感じる寂しさとその後ろに映る大雪山のダイナミックさ、この対比が迫力を生み出す。山元春挙の得意とする雪山と木々の風景、そのシンプルだが美しい世界を見事に描きだす。PCの小さな画面ではとても伝えられないこの迫力がもどかしい。

絵画と言えば洋画が中心に見られがちだが、やはり日本人にはこの風景がよくなじむ。この日本画という世界に触れる良いきっかけになればと思う。

テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

#52波乱万丈野球人生「中村紀洋」

5月5日、ある野球選手が偉業を達成した。プロ野球創設から70年以上が経過する中、たった42人しか達成していない記録、通算2000本安打だ。長い選手生活を送ることが許された一流プレイヤーのみが到達できるこの記録を達成した男は、紆余曲折という言葉だけでは表現できない、壮絶な野球人生を送ってきた。その男の名は中村紀洋、彼の野球人生を少し辿ってみたいと思う。

 大阪出身の中村は、少年時代にある光景を目の当たりにしている。1985年4月17日、彼は甲子園球場に野球を見に行っていた。この日付だけでわかる人はもう説明の必要もないだろうが、この日は巨人対阪神の俗に言う伝統の一戦が行われていた。巨人の先発は槙原寛己、阪神戦を得意にしていた槙原はこの日も6回まで1失点と阪神打線を抑えていた。しかし迎えた7回に事件が起きるのである。開幕直後のこの頃、不調にあえいでいたランディ・バースは、槙原が投じた初球を叩いた。これがバックスクリーンに飛び込む3ランホームラン。一気に点差を4-3と逆転する。そして次のバッター掛布雅之は3球目バックスクリーンに、そしてその次に続く岡田彰布も2球目をバックスクリーン横に飛び込むホームランにした。あの伝説の「バックスクリーン3連発」の試合を生で観戦していた。

 中学生のころから注目を集めていた中村だったが、彼はPL学園や上宮高校と言った大阪府内の名門高校ではなく、府立高校の渋谷高校に進学する。これは彼の父の助言があったと言われている。そして中村紀洋の漫画のような野球人生の幕開けでもある。
彼が高校二年生の時、渋谷高校は甲子園に出場する。府立高校としては8年ぶりの甲子園出場だったが、その中心には中村紀洋が居た。2年生にして4番、そして3塁手兼投手、大阪府大会決勝では2本のホームランを打ち、中村豊などのちにプロ入りする選手を多数抱えていた上宮高校を破り優勝。甲子園は一回戦で敗れたものの、全国屈指の強豪が集まる大阪府大会を乗り越え、府立高校を見事甲子園出場に導いたのである。ちなみにこの渋谷高校を最後に大阪府立大会を優勝した府立高校は出ていない。

1991年近鉄バファローズにドラフト4位で入団、92年の公式戦で初ヒットを放つ、そしてこれが自身初ホームラン。2000本打った際のインタビューで、初ヒットを打った時のことはあまり覚えてないとのこと。
98年には初の30本塁打到達、2000年にはシドニー五輪代表として参加、4位に終わり大号泣を見せた。この年には本塁打打点の二冠王に輝きパリーグ最高年俸になるが、その一方チームは二年連続の最下位に終わる。
そして迎えた2001年シーズン、この年は近鉄の打線が爆発、タフィ・ローズを組んだ3,4番コンビは驚異的な破壊力を持ち、チーム防御率最下位になるもその圧倒的な「いてまえ打線」は見事シーズンを優勝で飾った。そのリーグ優勝を決めた北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランもこの年に起きた出来事である。
翌年2002年にはFA権を取得、「中村紀洋というブランドをまず考えて、このまま近鉄で終わっていいのか」という後世に残る言葉を残しFA宣言をするも、ニューヨークメッツとの契約でもめ、慰留。このころから故障がちになってしまう。
そして2004年の冬には所属球団である近鉄バファローズが消滅、そのままポスティングシステムを利用し2005年にロサンゼルス・ドジャースに移籍。一度メジャー昇格を果たしたが、起用された数試合のみで、シーズンのほとんどをAAAで過ごすことになり、翌06年に日本球界復帰。オリックス・バファローズに入団するが、けがや契約内容で球団と揉め、自由契約選手となる。
そして自由契約選手となり一か月が経過した頃に中日ドラゴンズから入団テストの参加を呼び掛けられ、育成枠での入団を果たす。オリックス当時二億円の年俸をもらっていた選手が、一瞬で400万円まで年俸が落ちた瞬間である。しかし結果を残した中村は見事に支配下登録を勝ち取り、2007年念願の日本一になったドラゴンズの日本シリーズMVPに輝き、またも涙を見せた。2008年も中日に所属するものの、シーズン終わりに再度FA宣言、「他球団からの評価も聞いてみたい」と東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。翌2009年から楽天でプレーするが、成績不振やけがなどを理由に2010年に戦力外通告を受ける。彼の人生二度目の無職を経験、ここから約半年もの間自主トレを続け、声が掛かるのを待っていた。

そして2011年5月、横浜ベイスターズへの入団が発表された。チーム事情もあり、初のセカンドでの出場や捕手としての練習もするなど、今までにない何でも屋のような扱いもあったが、打撃は上向かず不本意な成績ながらもなんとか残留、2012年シーズンは息を吹き返し、久しぶりのオールスター出場。大阪ドームでホームランを放ちオールスターMVPに輝くなど、多くのファンに復活を印象付けたものの、問題児っぷりも復活。首脳陣との衝突が合ったりと穏やかではなかった。
そして2013年シーズン、シーズン当初は代打要員としていたが、スタメン起用されていた筒香の怪我などもあり、再度スタメンに。前年からカウントダウンが始まっていたラミレスと同じく5月5日に無事通算2000本安打を達成。

余りに波乱万丈なプロ野球生活を送る男の見事な記録達成におめでとうございますというエールを送りたい、本日記録を達成した谷繁元信選手にも同じように、本当に野球が好きなこの二人だからこそ、これだけの回り道と時間をかけても達成することができたのだと思う。まだまだシーズンは長い、二人の一層の活躍に期待したい。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

プロフィール

ppsnuwa

Author:ppsnuwa
趣味に生きたい社会人
野球とF1とゲームと漫画をこよなく愛す
ブログも主にこれらを扱います
10000人来訪ありがとうございます

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。