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#162 熱戦に次ぐ熱戦「第97回全国高校野球選手権大会を振り返る」

 8月もこの日が過ぎると夏の終わりを感じさせる。8月20日に行われた夏の甲子園決勝、東海大相模対仙台育英は夏の最後の熱気を感じさせるすさまじい試合となった。

■決勝戦 東海大相模VS仙台育英

 1970年以来45年ぶりの夏制覇を目指す東海大相模と、東北勢初制覇の悲願が掛かる仙台育英の一戦、前評判では優勝候補最右翼、プロ級の左右のエース小笠原と吉田の両名と非常に破壊力のある打線でここまで勝ち上がってきた東海大相模。一方仙台育英はエース佐藤世那を中心にこちらもしぶといバッティングが売り、明治神宮大会を制した仙台育英と強豪校が順当に勝ち上がってきた。
 プロ注目の小笠原対佐藤の投げ合いで始まった決勝、当然ロースコアになると思うかもしれないが、高校野球ファンの間では打ち合い必至とみられていた。

 その理由はというと、甲子園はトーナメント制で行われているため、勝ち進めば進むほど試合間隔は短くなり、最近では休養日が準決勝前日に入るようになったものの、プロ野球では最低でも4日は開ける先発の登板間隔を、地方大会から含め10試合以上を一人で投げ抜いてきているピッチャーもいる。
最近の甲子園ではエースはもちろん、甲子園のどこかの試合で1試合任せられるレベルの控えピッチャーを持っているというのも優勝に近づく重要なファクターになりつつある。そんな連戦に次ぐ連戦の最後の最後が甲子園決勝、つまり両先発はもう投げる前からへとへとである。
 しかし2回戦から登場し、吉田という右のエースもいた東海大相模は、2007年の佐賀北高校の馬場→久保を彷彿をさせる継投をすることで負担減を図った。一方の仙台育英は1回戦から登場し、殆どの試合を佐藤が投げ抜いてきた、この点で仙台育英は分が悪かった。実のところ見返してみると春、夏の甲子園ともに決勝の試合は一方的な展開になるものも少なくない。それも一重に先発の疲れが影響していると言ってもよいだろう。

 試合が始まってみれば東海大相模の2点先制で幕を開けた、周囲の東北初優勝が遠のいたと感じるのを裏腹に仙台育英ナインの闘志はすさまじいものがあった。4点を先行された3回裏に3点を取り返し1点差とすると、そこから2点を失い6-3。しかし6回の裏には2アウト満塁から1番佐藤将の走者一掃の同点タイムリー3ベースで6-6の同点に追いつく。甲子園のボルテージが最高潮になり、東北勢の初優勝を期待する声が高鳴る中、迎えた9回の表。東海大相模先発の9番小笠原がフルスイングした打球はスタンドの向こう側へ、7-6で勝ち越し、その後連打で3点を追加し10-6、ここで勝負あり。2010年に決勝まで進めながらも興南高校に叩きのめされた苦い記憶から、1970年の優勝監督である原貢氏の育成功労賞受賞の年に悲願の夏2度目の優勝であった。

 そして東北勢の初優勝はまたもお預け、100年を迎える本大会の第一回大会に秋田中が準優勝をして以来、八戸光星や花巻東、東北、仙台育英らが挑んだ白川の関越えはまたしても果たすことはできなかった。しかし近年の東北地域の活躍は目覚ましく、前々年の山形日大のベスト4入り、今大会の秋田商ベスト8、春準優勝の花巻東、12年には3季連続準優勝を果たした八戸光星、そして今回の仙台育英と9年連続甲子園出場の聖光学院と名を上げる高校も増えてきた。そう遠くないうちに東北初優勝も実現するだろう。

■話題をさらった選手たち
 
 今大会は当初目玉になるはずの県岐商の高橋純平選手の県大会での敗退や、大分商の森下選手の敗退等があり、話題性を欠くという前評判があった。しかしながら蓋を開けてみたらどうだろう。早稲田実業の1年生で中軸を打った清宮幸太郎選手や関東第一のオコエ瑠偉選手、九州国際大附属の山本武白志選手、秋田商の成田翔選手、前述の決勝の舞台に立った東海大相模の小笠原慎之介、吉田凌の両投手に仙台育英の佐藤世那投手、遊撃手の平沢大河選手と話題をさらった選手は多かった。どうやら試合全体を見渡しても非常に投低打高の傾向が強かったようだ。全試合平均で各チーム10安打を超えたそうで、これは歴代の大会を見ても屈指の打高傾向にあったようだ。全48試合中30試合で6点以上、10点以上入った試合では10試合、大阪偕星高校対九州国際大附属戦ではなんと10対12というスコアまで飛び出しているのだから、今年の甲子園は良く点が入るという印象は間違いではなかった。例年になく打のヒーローも多かった今大会だったが、その中でロースコアで抑えて勝ち上がった東海大相模と仙台育英の凄味は特筆すべきだろう。


■重圧を乗り越えた2校
 
 今回は高校野球100周年を記念して第1回大会参加校が行進を行った。
秋田中(秋田高)/早稲田実/三重四中(宇治山田高)/京都二中(鳥羽高)/神戸二中(兵庫高)/和歌山中(桐蔭高)/広島中(広島国泰寺高)/鳥取中(鳥取西高)/高松中(高松高)/久留米商の計10校だ。

 この中で2校第97回大会に出場した高校がある。西東京代表の早稲田実業と京都代表の鳥羽高校だ。まずは早稲田実業、今回の大会の始球式をOBである王貞治氏が務めるということが早々に発表されていた今大会において、出場に懸ける思いだけでなく、プレッシャーもすさまじかったに違いない。前評判としても、スーパー一年生清宮君、主将の加藤君の二人は注目されていたが、投手力が足りないため勝ち抜くのは厳しいと言われ続けていた。その投手力の槍玉に上がっていたエースの松本君は厳しい世間の目の中で素晴らしい成果を上げていた。確かに球速こそ130km出れば御の字だったが、丁寧にコーナーを突くピッチングで、ベスト4まで上り詰めた。都大会では最大の難敵とされた日大三高をまさかの完封。決勝では打線に5点ビハインドをひっくり返してもらったが、ここ一番で素晴らしいピッチングをしていたように思う。100年のタイミングで清宮君が入部して来たり、甲子園出場を決めたり、やはり早稲田実業は「持ってる」学校なのかもしれない。

 そしてもう一校は京都代表の鳥羽高校だ。なんと第1回大会優勝校の京都二中の流れをくむ高校で、正確に言えば同一の高校ではないものの、京都二中時代の優勝記念品のレプリカ等も展示されており、形式上では同一の高校として扱われている。1948年の学制改革によって、京都二中から洛南高校と名前を変え、同年の高等学校再編成により廃校になったが、1984年に鳥羽高校として復活した。通常例のない経緯の復活劇だったということで、第一回大会優勝校である京都二中の火を消さないために復活したのではないかと言われるほど異例のものだったという。そんな鳥羽高校だが14年の春選抜Vのこちらも古豪龍谷大平安や京都外大西、京都成章、福知山成美などを退け、見事甲子園の舞台に上がってきたのである。マスコミには「レジェンド校」として取り上げられていたが、特例として選手宣誓を鳥羽高校主将の梅谷君に任命するという流れもあり、まさに今年は高校野球100年の年という印象を深める出来事だった。


■100年、移り変わり

 今大会はまさに時間の流れを感じる大会でもあった。横浜高校の渡辺監督、智辯和歌山の高嶋監督、天理高校の橋本監督など、甲子園通算勝利記録に名を連ねる名将が一斉に引退を表明した。高嶋監督の最終戦は津商との一戦、初出場校の津商と百戦錬磨の智辯和歌山、智辯に分がある試合とみられていただろう。しかし試合結果は9-4で智辯和歌山の負け、しかもその負け方は甲子園の魔物に魅入られたかのようなエラーの連発による失点。まさに初出場校のようなその負け方に、寂しさを覚えた矢先の退任劇であった。当初より2015年の夏が最後と決めていたようで、今の3年生が入部した際に、お前たちが最後になると告げていたとのことであった。甲子園通算最多の63勝を誇る名将が甲子園を去る、と誰もが思ったのだが、どうやらあと1,2年は後任への引継ぎなどを兼ねて指揮をとるそうだ。
 そして横浜高校の渡辺監督、松坂大輔と筆頭に多数のプロ野球選手を輩出した名門横浜高校を半世紀近く率いた名将も今夏を持って引退した。今年はノーシードから決勝まで勝ち進んだものの、優勝を果たした東海大相模に敗れた。春夏通算5度の優勝はまさに圧巻の成績だ。浦和学院や常総学院、広陵高校、帝京高校、大阪桐蔭等、名物監督が率いる名門も多く敗れた今大会予選。本大会には7校の初出場校が名を連ねた。霞ヶ浦(茨城)専大松戸(千葉)津商(三重)大阪偕星学園(大阪)岡山学芸館(岡山)広島新庄(広島)創成館(長崎)の7校だ。競争率の高い千葉や大阪、広島から初出場校が出たこと自体驚きが隠せなかった。若い監督も多かったこともあり、100年にして新旧交代の印象が非常に強い大会となった。

■最後に
 波乱に次ぐ波乱で優勝候補が次々と県予選で敗退していく中、盤石の姿勢で戦い抜いた東海大相模の貫録の優勝だった今大会。非常に盛り上がりがあり、選手たちの頑張りもあって、近年まれにみる面白い大会になったのではないだろうか。決勝の視聴率が20%を超えたというニュースもあったが、これは2006年の早稲田実業対駒大苫小牧以来の数字だったとのこと。あの熱戦に勝るとも劣らない戦いであった。これまでの100年、これからの100年、語るにふさわしい大会であったように思う。
 また来年が楽しみになる、まずは秋季大会、明治神宮大会覇者はどこになるのか、今から目が離せない。
 
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#161 高校野球100周年「高校野球選手権大会と歴史とマメ知識」

 8月6日に開幕した今年の夏の甲子園も、早くも終わりを告げようとしている。
1915年に第一回大会を開催してから100年、節目の大会となった今大会だが非常に見ごたえのある大会になったのではないだろうか。
大会の振り返りはもちろんだが、今回は100周年ということで、甲子園の歴史と豆知識をお伝えできればと思う。

・歴史あれこれ

 第1回大会当時は日本各地の各地方代表という形を取っており東北、東京、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の代表10校が参加した。第1回大会優勝は京津地区代表の京都二中(現:鳥羽高校)。この頃はまだ甲子園球場は完成しておらず、大阪の豊中球場にて大会は行われた。
 1918年に開催された第4回大会は中止されているが、その原因はなんと米騒動だった。当時神戸市で大規模な米商店への焼き討ちが起きた。会場であった鳴尾球場のすぐ近くだったこともあり治安の悪化が懸念され、一旦延期となったが、最終的に騒動の鎮火の見通しが立たず中止、大会が開催されなかった42~45年の間を除き、大会中止となったのは100年間でこの第4回大会と、後述する41年の第27回大会の2回のみである。

 第9回大会では兵庫代表の甲陽中対和歌山代表の和歌山中の決勝が行われ、地元の甲陽中が勝利。当時鳴尾球場で行われていた大会だったが、この近畿対決により人気はピークになり、球場への観客の多さがキャパシティを大きく超えるものとなってしまった。
 そこで1924年に大阪朝日新聞社と阪神電鉄が協力し、枝川運動場(のちの甲子園球場)の建設をスタートさせる。年内に完成した枝川運動場だったが、この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)にあたり、縁起がいいということから甲子園大運動場と名付けられた。翌25年にはシンボルである蔦が植えられた。完成当時の初代甲子園は非常にグラウンドが広く。現在でも広いと言われている甲子園球場だが、当時は陸上競技や、その他のの球技にも使用される予定であったため、三角形に近い形をしており、中堅120mに対し、右中間左中間がそれぞれ128mもあった。その後ホームベースの位置を9mも下げたために中堅130m、右左中間が137mとさらに巨大化、1934年に来日した野球王ベーブルースも「Too large(デカずぎだ)」と驚いたという逸話も残っているほど。
 あまりに大きかったため1947年からプロ野球向けにラッキーゾーンが設置されたが、改修を重ねたことで常識の範疇に収まり、92年にはラッキーゾーンは撤廃された。

 100周年を迎え100回大会ではないのか?という疑問があるかもしれないが、太平洋戦争中は大会が中止されていたこともあり、97回ということになっている。1941年の27回大会が中止となり、そこから42年~45年は戦時中ということ朝日新聞主催での大会は開催されなかった。42年は文部省主催の高校国体の一種目として開催されたが、戦時中の戦意高揚のために歪にルールを捻じ曲げた大会(例:デッドボールをよけることは許されず、敢闘精神を欠くとして選手の途中交代やデッドボールは一切認められなかった。)であり、高野連の正式記録にも残されていない。42年の大会は幻の甲子園と呼ばれているが、今現在甲子園歴史館にはこの大会の覇者徳島商のウィニングボールが展示されており、懸命に戦い抜いた勝者を称えている。

 甲子園のよくある風景として、負けた高校球児による甲子園の土を持ち帰る恒例のイベントがあるが、あれを最初に行ったのは、巨人V9時代を作り上げた川上哲治だと言われている。中京商の野口二郎との壮絶な死闘を繰り広げた37年の第22回大会の決勝で敗れた川上はその土を地元に持ち帰ったとのことで、これが初めてだったと言われる。


・記録あれこれ
 
 甲子園最多出場校は春夏通算で京都代表の龍谷大平安、計72回の出場を果たしている。ちなみに夏の甲子園単体では北北海道代表の北海高校が36回の出場。選抜では龍谷大平安の39回がそれぞれの最多である。そして最多優勝回と最多勝利数の二冠を持っているのが愛知代表の中京大中京である。通算131勝と春夏通算11度の優勝。夏と選抜の両方の最多勝利数記録も優勝回数記録も保持している。戦前の中京商時代には31年17回大会から33年の19回大会にかけて史上唯一の夏の甲子園3連覇を果たしており、戦前と2000年代で優勝を果たしている数少ない強豪校である。

 県別に見れば、最多勝は346勝を挙げている大阪代表、春夏通算21度の優勝と14回の準優勝は全国最多。珍しい記録として、現在春夏通算で全47都道府県と対決経験があるのは北海道、東京、大阪、兵庫、さらに当該県以外の全46カードすべてに勝利を収めているのは大阪と広島だけである。(広島はセンバツで広島代表対広島代表を経験していないため全都道府県との対決は達成できていない。)

 細かい歴史や豆知識をいくつかご紹介させていただいた。第97回大会の感想まとめについては明日の決勝後まとめて語らいたいと思う。しばしお待ちを

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#160 獲物がいたぜ「ラストハルマゲドン」

らすまげ
 前回まで任天堂重役特集を組んでいたわけだが、今回から通常運転と行きたいと思う。早速だが今回取り上げるタイトルは「ラストハルマゲドン」という作品だ。1988年にブレイングレイという会社から発売されたRPG。発売ハードはPC8801、古きPCゲームなのだ。後にファミコンやMSX、PCエンジンなどにも移植された本作だが、特にその独創的な設定が評価されている作品だろう。

ページトップの作品のカバーイラストを見ていただきたい。ご覧のとおりモンスターばかりであるが、このモンスターたちこそが主人公である。よくある勧善懲悪の勇者が大魔王を倒しに行くような一筋縄なシナリオではもちろんない。このストーリーは人類滅亡後の地球に生きる主人公たち魔族と、地球外からの侵略者の戦いを描くRPGなのだ。

オープニングはなかなかの衝撃的な始まりをみせる、人類の滅亡によりようやく地表に姿を現すことができるようになった魔族たち、スケルトンとミノタウロスの2人が地表を探索していると、突然攻撃を受け、無残にも殺されてしまう。そこにはもうひとり地表に訪れた異星人の姿が・・・
異星人より宣戦布告を受け、地球を支配たらしめんと立ち上がる魔族たち。今魔族と異星人の地球の支配者を決める戦いが始まる・・・
黙示録と書かれた108の謎の石版、絶滅した人類が作り出したという「戻らずの塔」とは一体なんなのか、異星人との戦いの最中、新たな謎が魔族たちを包む。
この戦いの決着はどこに、ラストハルマゲドンは一体何なのか、その謎をときあかせ。

というわけでモンスターが主人公のこのRPGだが、その衝撃的なシナリオは非常に評価が高い、といってももちろんネタばらしはできないが、アンチ国産RPGといって良いそのシナリオは衝撃を受けるに違いない。まさかまさかの内容といっていいだろう。シナリオライターは飯島多紀哉氏、御存知な方もいるかもしれないが、あの有名クソゲー四八(仮)の仕掛け人でもある彼、この作品のような名作も作っていたという事実を氏の名誉のために記しておきたい。

記事タイトルにある「獲物がいたぜ」とは、このゲームの戦闘の突入時に表示されるセリフである。このかっこよさはいかにもモンスター的であり異端さを引き立ててくれる。

そしてさらに評価が高いのはこのゲームのBGMである。コンポーザーはあの超兄貴などで有名な葉山宏治氏の作である。とくにPCE版の戦闘BGMはそのクセになるリズムと和風なアレンジが非常に高い評価を受けている。作品全体の雰囲気がハードなため、曲調も全体的にロック調であるが、その空気こそ葉山ミュージックの真骨頂といっていいだろう。

現在販売元だったブレイングレイはなくなっており、版権の管理先が不明という背景があるためヴァーチャルコンソール等でも配信が全くなされていない。現在遊ぶにはPCエンジン版が一番手に入りやすいだろうが、それでもハードルが高い。プレイ動画などでも十分楽しめるようなゲーム内容であるためぜひこの名作に、その衝撃のシナリオに触れてみていただきたいものだ。

テーマ : レトロゲーム
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ppsnuwa

Author:ppsnuwa
趣味に生きたい社会人
野球とF1とゲームと漫画をこよなく愛す
ブログも主にこれらを扱います
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