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#171 こうなるとは「世界野球プレミア12 韓国戦9回表を振り返る」

当初の予定通り、プレミア12の振り返りで今回のコラムを書きたいと思う。結果でいえば日本は3位に終わった。
今大会、世界ランキング1位として臨んだ日本にとって、メジャーリーガーの出場が一切ない本大会は優勝しなければならない大会だったに違いない。その敗退はあまりに悲しく、野球ファンとしては最も見たくない終わり方だったと言えるだろう。

 6番に座った中田翔の活躍により、予選リーグを5勝無敗で勝ち上がった日本。確かに無敗でしのぎはしたものの、各試合どこか中継ぎ陣に不安を覚える内容だったのは言うまでもなかっだだろう。
 各球団の中軸やエースとクローザーを集めたわけだが、シーズン後の大会ということもあり、各選手疲労がたまっていたことだろう。オープン戦からシーズン、日本シリーズ、プレミアとすべての試合に出場した山田哲人に至っては今シーズンの出場試合数は160試合を数えたという。もちろんそういったものを鑑みたうえでのことではあるが、それでもってしてもやはり優勝してほしかったというのが本音だ。

 今回は焦点になる「あのシーン」について改めて考えたい。

 準決勝韓国戦。本大会の予選で当たった際は5-0で日本が勝利、先発の大谷が強力打線と噂されていた韓国打線をねじ伏せたのが印象的な勝利だった。そして小久保監督は中10日を空け、再度大谷をぶつける。期待に応え6回まで完全試合ペースでねじ伏せた大谷。日本は3点を入れ0-3で8回を迎えた。
 
・一つ目のポイント、大谷から則本に交代。
 大谷があまりに良かったため、球数も7回終わりで90球ほど。この時点で1安打しか許しておらず。日程的に最後の投球になるであろう大谷をここで下げたことの是非がまず問われる。
私の考えにすぎないが、おそらく代表監督として、各球団から選手を預かる以上、チーム内で球数制限を設けていたのではないだろうか。各球団からいろいろ注文があったという話は漏れ聞こえてきている部分ではある。この件についてはとりあえずそれにこたえるための交代だったとしよう。

・2つ目のポイント、なぜ則本だったのか。
 国際大会においては、初対戦のピッチャーを打たなければならないことが多い。初対戦においてははっきり言って投手有利だろう。ただでさえ3割打てれば褒められる野球の世界で、初めて対戦する投手を打つことは容易ではない。そんな中小久保監督は、先発と中継ぎを予選の韓国戦と全く同じ布陣で挑んだのだ。結果として大谷は見事にねじ伏せたものの、予選での2イニング目の則本と9回の松井についてはどちらも結果として無失点ではあったが、満塁のピンチを招いていた。このことを考えれば2試合とも全く同じ選手起用はあり得なかったのではないか。結果として8回は見事に抑えきった則本。しかし悪魔は9回に潜んでいた。

・3つ目のポイント、則本続投。
 9回の表、マウンドに登ったのは8回に登板した則本だった。確かに8回はいいピッチングをしていたのは間違いなかったが、イヤな予感がよぎった「予選の時と同じだ」と。1イニング目は全開で掛かっていた則本だが、2イニング目は連打を許す。1失点後疑惑の死球を与え無死満塁の大ピンチを作って降板となってしまった。なぜ9回も則本だったのか、0-3のリードでたくさんいるクローザーを起用しなかった部分には疑問が残る。
 そもそも先頭打者に安打を許した時点での交代が妥当な場面。あくまでシーズン先発をこなしてきた則本にとってセットアッパーとクローザーの2つの仕事を押し付けること自体言語道断、仮に続投するにしてもヒット一本出た時点で次の手を打たなくてはならなかった。 

・4つ目のポイント、クローザー陣の不調。
 則本を9回続投させた小久保監督だったが、その行動には布石があったのは間違いない。澤村、松井、増井と選出された4人のクロ―ザーのうち3人が今大会中にセーブ失敗ないしは失点していたためだ。この時点で2試合を投げ無失点だった山崎がまだいたが、不思議なことに残念ながら彼にはこの機会で出番が回ってくることはなかった。おそらく試合でのピッチング中に小久保監督の視界に入らなかったのだろう、それなら仕方ないと言える。
 9回のこの時点で則本続投に沸いた人も少なくなかっただろう、私自身は前回の事があったため両手離しで歓迎したわけではなかったが、それでも「則本ならやってくれるだろう」と期待を寄せたのは間違いなかった。

・5つ目のポイント、不可解な守備位置
 則本が3人目に許した2ベース、これは3塁線を抜かれたタイムリーだったわけだが、なぜこの場面で3塁線を空けた守備をしていたのかも疑問に残る。1塁の中田は1塁線を締めて守っていただけに、そこまで痛烈ではなかった打球で抜かれてしまったのはいかがな物だろうか、三遊間寄りの位置取りは仁志コーチの指示だったことが判明しているが、現役時代もリスクのある大胆な守備位置取りをしていたコーチの定石嫌いの癖が出てしまったのだろうか。ゲッツーが欲しかったとの主張だったが、3点リードの状況、ワンアウトを取りに行くのではだめだったのか、そもそも3塁線に飛んでいれば容易にゲッツーが取れるランナー状況であったとこも考えれば、その守備位置の指示は疑問がどうしても残るものになってしまった。

・6つ目のポイント、ピッチャー交代松井
 ノーアウト満塁という大ピンチで出てきたのはなぜか松井だった。監督本人が信用しなかったクローザー集団で、一番調子を落としているのは誰が見ても明らかだった松井をここで改めて送り出したのだ。私自身中継を見ながら何が起きているのかよくわからなかった。ここでシーズン中の松井が帰ってくるのであればまだ理解できた。どうしても三振が欲しい場面、ここで松井がキレッキレのスライダーを投げ、相手の腰を砕くようなチェンジアップを投げてくれるのだとしたら大歓迎だった。しかしそれを投げることができないのは監督と投手コーチ以外はわかっていたのだ。それでいてこの場面で松井を起用したのは、監督自身が「不調の選手を我慢して起用する」という結果オーライの美談のような采配に酔っていたに過ぎない。
 監督は何か勘違いしているようだったが、あくまで日本代表は「各球団の精鋭が集まった勝つための集団」であって「次代の選手を育成する場所」ではないということを頭に叩き込んでいただきたい。そんなことをこの場面でするならU21日本代表でできるんだからそっちでやれとしか言えない。
 大方の予想通り、松井はここで押し出し四球を与え即交代となった。

・7つ目のポイント、ピッチャー増井へ交代
 そして迎えた次のピッチャーは増井。ひとつ前のプエルトリコ戦で3ランを浴びるなど、直近でもっとも悪い成績だった増井がここで登板した。自分で書いてて尚の事意味が解らないが、不安の残る二人をあえてここで連続で起用。監督の子供が誘拐されて脅されていたのではないかと心配になる選手起用だ。もはや言語道断と言っていいだろう。そもそもプエルトリコ戦で投げていた増井をなぜまた韓国戦で起用したのかもわからない。何のためにほかの中継ぎ陣は召集されていたのか、ほとほとあきれるばかりである。
 そして最終的にイデホに逆転タイムリーを打たれ終戦、0-3の9回表という勝率90%を超えるシチュエーションからまさかの敗戦を喫したのだ。


 あくまで主観的な分析でしかないため、何が正解なのかは答えは闇の中だが、もしこのポイントがどこか一つでも違う選択をできたならば、逆転はなかったのではないだろうか。  
 一つ言えるのは、もし一度でもシーズンを戦った監督であれば、この試合での負けはなかっただろうということ。そしてホークス出身の小久保監督はNHKのパリーグの試合の解説ばっかりやっているのではなく、セリーグの試合にも精力的に顔を出し、セリーグの選手を見極めるための準備をしなければならないということだ。
 代表監督の門出として、これ以上ない楽な花道を用意してもらったにもかかわらずそれを無碍にしたこの試合の責任は大きい。常設の日本代表監督として、これからの小久保監督の取り組み方が問われる。

 
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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

#170 今年も寂しい季節が「2015年NPB引退・戦力外選手を振り返る その1」

 日本シリーズは見事圧倒的な強さで福岡ソフトバンクホークスが勝ち、2年連続の日本一を達成した。2年連続で日本一は黄金時代の西武までさかのぼるらしい、いかに連覇が難しいかがわかるというものだ。それにしても盤石な強さはセ・ファンの私としては恐ろしい限り、おそらくセの6球団が束になってかかっても跳ね返されるだろう。このチームとレギュラーシーズンを戦うパ・リーグのチームはまさにご愁傷様というものだ。
その強さの要因を考えれば、選手層の厚さに尽きるだろう。生え抜きとFA等補強組のバランスのとれた戦力、3軍制を敷き有望な高卒の徹底した育成とソフトバンクの有り余る資金力が実現した黄金時代。「来年は優勝できるのか」ではなく、「何連覇まで伸ばすか」がすでに焦点になりつつあるが、そんな球団だからこそ選手の代謝は激しい。

日本シリーズ終了と共に、今シーズンの戦力外通告の期間が終了した。12球団総勢104名が引退、もしくは戦力外通告を受けた。今シーズンの引退選手で話題を集めたのは大物選手の引退が相次いだからだろう、簡単にご紹介しよう。

まずは名球会メンバーからだ
・山本昌
選手生活はついに32年で終止符が打たれた。中日ドラゴンズのピッチャーとして1983年入団、背番号34を背負い続けた現役最後の200勝投手もついに引退。世界最高齢先発勝利の肩書を得ることはかなわなかったが、浜崎真二が長年持っていたNPB最年長記録を軒並み塗り替えたその姿はレジェンドと呼ばれた。果たして今後50歳まで現役を続ける選手は現れるのだろうか。
#119 49歳、現役「山本昌」
http://ppsnomu.blog.fc2.com/blog-entry-125.html

・谷繁元信
98年横浜ベイスターズ優勝時の正捕手、落合政権時の中日ドラゴンズ黄金時代を支えた名キャッチャーも現役引退を表明した。2014,2015年と兼任監督だったが、来年からは監督一本でペナントリーグへ挑むことになる。半ばアンタッチャブルレコードと化していた野村克也の3017試合出場を約40年ぶりに塗り替える3021試合出場はおそらく今後破られることはないだろう(日米通算ではイチローの3308試合出場が最多)。ちなみに27シーズン連続安打と連続本塁打もNPB記録になっている。

・小笠原道大
日本ハム、巨人、中日と渡り歩いたミスターフルスイングもついに引退を決意。通算打率.310、378本塁打はまさに立派の一言。史上唯一の2年連続でのセパシーズンMVP。9度の3割30本と安定した打撃は何度もチームに歓喜をもたらした。
既に中日ドラゴンズ2軍監督への就任が発表されており、次代の若手育成を期待されている。
#165 ミスターフルスイング「小笠原道大」
http://ppsnomu.blog.fc2.com/blog-entry-172.html

・和田一浩
 まさに遅咲きの選手人生だった、初の規定打席到達はなんと30歳。そこからの13年間で1800本以上の安打を積み上げ、通算本塁打も319本。岐阜県出身でミスタードラゴンズの高木守道氏の高校の後輩でもある和田は熱狂的なドラゴンズファン。2007年オフに中日ドラゴンズへFA移籍を果たし、福留、T・ウッズが抜けた後の中日打線を牽引した。
その通算成績からは意外だが、なんとシーズン100打点を超えた経験が一度もないというのも驚きだ。

今年は4名も名球会メンバーが去った。なんと全員中日ドラゴンズ所属というのがまた恐ろしい、そして現役での名球会メンバーは中日岩瀬仁紀、楽天松井稼頭央、ロッテ井口資仁の3名を残すのみとなった。
中日はまさに若返りを意識した改革、来シーズンの動向に注目だ。

そして名球会に届かないまでも、プロ野球ファンに強い印象を残した選手も多く引退した。

・高橋由伸
1998年に鮮烈なデビューを飾ったこの男も引退を決めた。その引退はファンが望んだような華々しいものではなく、17年間過ごした巨人に泣きつかれるような形での引退となった。
来シーズンから巨人の監督への就任が発表され、新生巨人のイメージを作っていく大役として選ばれた。
通算成績では1800安打300本塁打を超えたものの、主要タイトルをとることはついに叶わなかった。彼の全力プレーは怪我がつきものだったが、その姿は間違いなくファンの脳裏に焼き付いたに違いない。

・斉藤隆
楽天、横浜の2球団で日本一を体験した唯一の男も今年ユニホームを脱いだ。100勝100セーブを達成した数少ない投手の一人、35を超えてからのメジャー挑戦でまさか選手としてのピークを迎えることになった。150kmをゆうに超えるストレートと強烈に曲がり落ちるスライダーを駆使し、メジャーでも多くのセーブを上げた。
日本球界復帰時には自信の故郷である東北のチームの楽天を復帰の地に選んだ、劇的な2013年シーズンでも中継ぎとして活躍、45歳という年齢でも140km終盤を計測したストレートが印象深い選手だった。

・井端和弘
ゴールデングラブ6度受賞した守備の名手、落合政権の黄金時代を支えた二遊間のアライバコンビのうちのひとりである井端もユニフォームを脱いだ。2013年WBCにおいてDHで大活躍したものの、レギュラーシーズンは怪我と不調による年俸大幅ダウンにより巨人へ移籍。2014年2015年シーズンは巨人のユーティリティープレーヤーとして活躍、主に2番を任されたが、その芸術的な流し打ちで何度もチャンスを演出した。通算安打は1900安打を越えていたため、もう一年あれば2000本安打も射程圏内だったが、盟友である高橋由伸の引退に合わせ、自らユニフォームを脱ぐ決断を下した。来年からは巨人の守備走塁コーチに就任、高橋由伸を支える道を選んだ。


・谷佳知
イチローをして天才と言わしめた男もついに引退。世間一般にはヤワラちゃんの旦那さんというイメージが先行してしまいがちだが、選手としても素晴らしい実績がある。
シーズン2塁打52本は日本記録、盗塁王やゴールデングラブも獲得し、走攻守が高いレベルで揃った選手であった。イチローがオリックスから移籍し、入れ替わりのようなタイミングで台頭した谷だったが、急激に暗黒期に落ち込んでいくオリックスの希望の光であった。2006年のシーズン後巨人との複数トレードで巨人へ移籍、2007年から2013まで外野・代打として活躍した。2014年から古巣オリックスバファローズへ復帰、現役最終打席で1928本目のヒットを放ち現役を引退した。

・中嶋聡
山本昌と同じく、球界のシーラカンスとして長く現役を続けていたこの男もついに現役を引退した。阪急ブレーブス出身の最後の現役選手。なんとあの山田久志、松坂大輔、ダルビッシュ有、大谷翔平の球を受けてきたというのだから、中嶋の息の長さがわかるというものだ。昭和最後のプロ野球公式戦(山田久志の引退試合)でホームランを放っており、昭和野球史最後のホームランを記録した選手となっている。
中嶋の有名な珍プレーといえば、球速が遅いながらもその緩急の効いた投球術で180勝を上げた星野伸之のスローカーブをなんと素手で捕球してしまったのだ。星野はこのキャッチにご立腹だったらしい。
日ハムではコーチ兼任として長く現役を続けた、2軍が東京、1軍が北海道に本拠地がある日本ハムのチーム事情により第3捕手として常に準備していた。
今年からはフロント入り、GM特別補佐として務めることとなる。

・西口文也
西武の黄金時代を知るエースもついにユニフォームを脱いだ、大卒ながら通算182勝、1997年には最多勝、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、シーズンMVPと防御率以外のタイトルを総ナメにした。西口と言えばその悲運の宿命、ノーヒットノーランにリーチをかけたものの2度最後のバッターにヒットを打たれ達成を逃し、完全試合ペースで9回を投げ終えたものの、味方打線も完封され、延長戦で達成を逃す、勝ち投手の権利を持って降板してもことごとく後続に勝ちを消されるなど、その悲運の姿は印象に深い。
最後のセレモニーも感動的な物であったが、ファンが描く印象としては意外な西口本人の茶目っ気のおかげで、和やかなムードで締めくくられた。
こちらも来シーズンからのフロント入りが発表されている。

・金城龍彦
横浜で1999年から2014年までの15年間、そして巨人に移籍し1年間プレーした金城も引退を発表。ドラフトでは投手として指名されたにも関わらず横浜入団後打者に転向、なおかつ元々右バッターだったにも関わらず左打ちも練習しスイッチヒッターになった。2000年には史上初の新人王と首位打者の同時獲得、まさに型やぶりな選手だった。
通算でサヨナラ安打を8度記録する勝負強さと、「変態打ち」とまで呼ばれる悪球に食らいつくバッティングはファンの印象にも強く刻まれている。
来季より新設される巨人3軍の打撃コーチ就任が発表されている。



その他主な引退発表者
・関本賢太郎
阪神一筋19年、いぶし銀の活躍を重ねたこの男も引退。大きな体からしぶといバッティングと堅実な守備でタイガースを支え続けた3代目代打の神様もユニフォームを脱ぐ

・朝倉健太
 地元東邦高校のエースから中日ドラゴンズへ入団した粗倉も16年目のシーズンで引退を決意、落合中日のローテーションピッチャーとして通算4度の二桁勝利は立派

・東出輝裕
広島の生え抜きとして17年間過ごした、ついに自身が一軍にいる間にAクラスになることはかなわなかったが、後輩に慕われているエピソードには事欠かない人物。松坂世代のタイトルホルダーがまた一人姿を消すことになった。
来季からは1軍打撃コーチに就任予定。

・木佐貫洋
巨人、オリックス、日ハムと渡り歩いた苦労人もついに引退、巨人時代には新人王を獲得。
その誠実さたるやファンの中でも語り草になっており、サインする時間が無いときは自ら用意したサインカードを配る等、几帳面さとファンへの心遣いで愛された選手だった。
 実はかなりヘビーな鉄道マニアでもあり、日本ハムへ移籍した際は北海道の鉄道に乗ることができると喜んでいた。

・森本稀哲
日本ハムの人気を支えた外野手も引退、稲葉、SHINJOと共に外野を形成した。新庄と共に多くのパフォーマンスでファンを楽しませてくれた。ピッコロ、ゴレンジャー、ラーメンマン、雨天時の即興コント等語り草となっている。
日ハム、横浜、西武と3球団渡り歩き、ムードメーカーとしてチームを鼓舞、現役最終打席では、チームメイトがつないでくれたシチュエーションでネクストバッターズサークルにいた時点で大粒の涙流していた。
ちなみにトレードマークのツルツル頭だが、あれは毎日剃っているもので、昔円形脱毛症に罹患した経験から、同じ病気で悩む人に勇気を与えたいということで続けている。現在は完治しているため、剃らなければ普通に髪は生えてくるとのこと

・平野恵一
球界随一のハッスルプレイヤーもついに引退。俊足好守の内外野を守るユーティリティープレイヤーとしてオリックス、阪神の2球団で活躍した。現在メジャーリーグで活躍しているイチローを除けば、中嶋聡と同じく最後のブルーウェーブ戦士だった。
現役中はまさに怪我との戦いであった。フェンス激突や負傷を恐れぬダイビングキャッチで試合を沸かせた。打撃も2010年には.350を記録するなど高いポテンシャルを見せた。
来季からは阪神2軍守備走塁コーチへの就任が決定している。


これ以上はあまりに長くなりすぎるので一旦終了。
次回気が向けばほかの選手たちも紹介します。

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プロフィール

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Author:ppsnuwa
趣味に生きたい社会人
野球とF1とゲームと漫画をこよなく愛す
ブログも主にこれらを扱います
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